天国への道

愛を持って、自分の頭で考え、行動していきましょう

前世②

 さて、そんなこんなで私は再び地上で生まれることとなりました。
 幼年期はまったく覚えていません。記憶は、戦地から始まります。第二次世界大戦です。

 最初に断っておきますが、私は軍隊や戦争のことに詳しくはないです。ですから、特に用語において、間違った使用があるかもしれないのをここでお断りしておきます。


 私はどこか南国の小さな島にいました。小隊の分隊長だったと思います。その頃の私の年齢は10代後半から20代前半。私は貴重な青年期を戦場で過ごしていました。小隊を任されていたのは家柄が良かったおかげでしょう。

 途中までは順調でしたが、次第に戦況は悪くなりました。私は戦地の住民を手厚く保護しました。自分たちが利用されているのをある程度把握しつつも、住民が求めるままに食料を与え、自分たちは質素に生活しました。他の隊が住民に乱暴を働くようであればそれを阻止したりもしました。住民たちは私たちが本当はもっといい生活をしているのを隠していると思って覗きに来たりもしましたが、実際を目の当たりにすると、気を削がれたような感じで帰っていきました。少なくともしばらくは、関係は良好でした。

 やがて米軍がやってきました。投降も認められず、私は隊の人間を逃がすために単独で特攻しました。しかし、こんな私にも慕ってくれる人がいたのです。私は結局、隊の人間数名と特攻を仕掛け、そして無残に散りました。志に生きた、良い人生だったと思います。

 

 気が付くとそこは、暗い地の底でした。真っ暗闇の中で、自分の隊の人間がそこにいるのが確認できました。私と一緒に特攻した人間だけではなく、全員でした。私は心底落胆しました。結局、私がしたことは無意味だった、命をかけるという決断のなんとむなしいことか。これからどうなるんだろう。誰かが言いました。何とかするさ。私は答えました。そう言うことしかできませんでした。でもどこか私は楽観的でした。気が抜けたような。解放されたような。

 

 すると、奇跡が起きました。

 

 天が光り輝きました。そして、そこからいくつもの光の柱が降りてきました。チンダル現象のような(そう言えばチンダル現象には天使の梯子という異名があります)、それをもっと明るく、荘厳に、金色に。音楽が流れていました。そして光の中から、たくさんの光り輝く人影が現れ、こちらに向かって降りてきます。
 歓声が上がりました。心のうちに喜びが湧き上がってくるのを感じました。おそらくみんな同じだったことでしょう。

「隊長! あれ!」近くにいた隊員が叫びました。

「だから言っただろう」私は視線を天の光から離せないまま、答えました。「必ず報われるって」私は実際、ことあるごとにそう言い続けていたのでした。

 光り輝く人影はどんどん降りてきて、選んだ一人を連れて天界に上っていきます。私の前にも光り輝く人影が降りてきて、手を差し伸べました。私はその手を掴みたかった、それはもう狂おしいほどに。でも私は、他の人を先に連れて行ってくれるように頼みました。自分で報われると言った以上、報われない隊員を一人でも残すわけにはいきませんでした。人影は頷いて、他の隊員を連れて行きました。私は少し残念でした。多分、私を選んでほしかったのだと思います。そこにいたからではなく、私の生き方自体に価値があったのだと、だから天国へ行けるのだと、そうあってほしかったのだと思います。

 天使の一団はすぐに、それぞれ選んだ人間を連れて天に戻っていきました。するとすぐに、もう一度天から天使たちが降りてきて、同じように隊員を連れて行きました。私は同じくほかの隊員に機会を譲りました。天使たちは隊員を伴って天へと戻り、そして三度降りてきました。一度やってしまうと、機会を譲ることは容易いことで、私は三度機会を譲りました。彼らは帰っていきました。私を含め、その場所には十数名の隊員が残りました。

 再び天使が降りてきました。今度は一人でした。彼女は私の前に降り立ち、こう言いました。「なぜ来ないのです?」

「私は隊員たちに必ず報われると言ってきました。彼らがまだ残っている以上、私が行くわけにはいきません」私は答えました。

「ここに来るのは私が最後です」彼女は言いました。語気は強く、少し怒っているようでもありました。「すべての人を天に迎え入れられるわけではありません。あなたは折角の機会を無駄にするのですか?」

 私は言葉に詰まりました。天国へは行きたい、しかし、自分の言を違えるというのはどうなのだ? 残った隊員たちはどうなる? 

 私は迷いました。天国へ行きたいけれども、この状況ではとても自分から行きたいとは言えなかった。しかし、私が迷っていると、後方から声が聞こえました。

「隊長、行ってください」残された隊員たちがこちらを見ています。どこか諦めたような、しかし優しい目をしていました。

「しかしお前たち……」

「大丈夫です、俺たちは俺たちで何とかしますから」

「すまない」私は天使に自分の手を預けながら言いました。やはり私は天国へ行きたかった。おそらく誰よりも。天使は私の手を引いて天へ昇っていきます。彼らが米粒よりも小さくなるまで、私は彼らを見ていました。

 

 私が天国へ行けたのは、彼らのおかげです。

 

 皆さんはここまでの話を見て、何を思うでしょうか? 感想は三者三様だとは思います。しかしここで私はいくつか、どうしても理解しておいて欲しいことを書こうと思います。

 まず、私自身について。私自身、この人生では心からの善行を積み重ねてきました。しかし、いやだからこそ、死後に天使が降りてくるのを見て、自分が選ばれることを確信しました。天使が降りてきたということは、自分の生きてきた人生が間違っていなかったということであり、そうであれば、隊を率いてきた私は一番に選ばれるはずだ、そう考えていました。だから、まず天使が他の一人の前に降り立った時、私は嫉妬しました。私じゃないんだ、と。自分の前に最初に天使が降り立っていたら、私は天に行く機会を他に譲れたかどうか。

 私はこの時、生前の記憶はありませんでした。しかし、少し考えれば自分がこういう機会を得たのは他者のおかげであることは明白だったでしょう。考える時間などなかったのかもしれないし、他に考えることも多かったのかもしれないです。しかし隊を率いることができたのは出身のおかげだし、それはそこに生まれることを許してくれたたくさんの人々、天使、何より私に自分の順番を譲ってくれた人のおかげです。他者を慮れたのは境遇のおかげです。戦場に於いて志を貫けたのも、私の意に賛同してくれた隊員たちに因るところがほとんどです。私は高慢でした。こんな私を天に連れて行ってくれたことを感謝すべきです。

 次に、多分、この戦時中という時期は、天界もかなりその扉を開放していた時期だったのだと思います。グローバリゼーションが叫ばれて久しい昨今、国のため、というと嘲笑を受けがちではありますが、実際のところは国のために命を賭する、人生をささげるというのは天にとって貴い価値観であるようです。だからこそ、私たちの上にも天使が降りてきてくださったのでしょう。日本のために戦って死んでいった兵隊は、そのほとんどが天に昇れたと思います。実はこの時地に残された隊員たちとも、後に天国で再会できています。

 最後に。もし望外の幸運が舞い降りてきたときは。迷わず受け取るようにしましょう。それが自分に相応しくなければ自ずと消えていくものですし、むしろその幸運に見合うような自分になるためのチャンスだと思ってください。素直になりましょう。素直さは愛されます。やっかみもあるでしょうが、それ以上が期待できます。余計なプライドを捨てる、ということは真にはこういう意味のはずです。私は運よく拾ってもらえましたが、あのまま天に昇る機会を失う可能性だって十分にありました。チャンスは掴んでください。それはあなたのために用意されたものです。苦境にあればこそ、心に留めてください。なぜなら、苦境にある時ほど、自分からチャンスを捨てがちだからです。その時どれほど悲惨な目に合うかは、私がこれから書いていくつもりです。